なんか昔受けた人物紹介的なインタビューのやつ
シドニーで単身一人暮らし時代にお世話になったAPLaCというエージェントさん繋がりで受けた人物インタビューです。
APLaC https://aplac.net/
体験記 https://aplac.net/wh/yuki-yoshida.html
これも先の刺青インタビューも掲載サイト自体が無くなってしまっているので、メールのやり取りを引っ張り出してきてコピペです。
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まずは、吉田さんが10代だった頃はどんな事を考えながら生きていましたか?
(どんな事でも結構です。将来について漠然と思っていた事とかでも。自分自身についても。)
どんなこと?普通に何も考えてませんでしたよ笑
中二のときに14歳違いの妹ができて、私は私で普通の落ちぶれ中学生として10数人対10数人の中学対抗ヤンキーケンカバトルに参加したりして、(広島の郊外のマンモス団地だったため昭和テイスト満載のヤンキー達がたくさんいたので笑)他聞にもれず、学校に親同伴で呼びつけられる時に、「吉田のカーちゃん妊娠しとるじゃん!年の割りに元気じゃね〜www」みたいな嘲笑の的にされて恥ずかしかったぐらいで、兄弟多いのヤダナ〜とか考えてましたね。高校も一応真面目に受験して可もなく不可もなくな公立校に入学するもカツアゲ、強盗等の軽犯罪?で普通に一年でドロップアウト そこから定時制に編入して昼間働き夜学校生活を2〜3年やりました。が、TATT OOと出会 いあっさり自主退学します。で、10代の終わりに結婚です。
まーアプラック組から言わせると珍しいのかも知りませんが、世の中にはいっぱいいるタイプの若かりし頃は何も考えてなかった君だったと思いますよ。
将来なんてわかんね〜好きなことだけやって楽しけりゃ誰かを傷つけてもお構いなしだぜ〜というまことに残念な10代ですね今振り返ると笑
2つめに、タトゥーとの出会いを聞かせてください。そして何故それに魅入られていったのか。。
コレに関してはホントに長くなります。お付き合いください。
まず、TATTOOですけど、出所も諸説ありまして、全体的にタトゥーってことになってるんですが、大きな勘違いが出回ってるので、一つだけ説明を。よく言う和彫りというものがありますよね。ヤクザ屋さんたちが背中や全身に纏っておられるアレです。アレは和彫りといい、決まった絵柄、構図を一門で守り、受け継いでいくという。能や歌舞伎に似た、伝統芸能の一種と捉えていただくと解り易いかと。本物の和彫りというのはそれぞれ一門があり、どこぞの組が囲い込んでいたりして、一般人にはなかなかお目にかかることの無いものです。それ以外のものを総称して洋彫りTATTOOとなっているので、非常に解り難いうえ、最近は海外のコンベンションなどに参加されてる一門所 属の彫師 さんも多く、ジャパニーズトラディショナルとかいう和彫りを真似るスタイルが世界的に流行ったのもあり、完全にカオスで彫シドニーとかいうオージー彫師もいるとか。もうわけわからんですよね笑 でも、基本的にはまったく違うものなんですよ。本当は。
同じ彫り物、刺青という行為ですが、和彫りは変わらない技術、伝統を守り伝えていく、日本独特のもの。洋彫りは、より自由により創造的な作品を目指してどんどん変わっていく芸術で、世界中にあるものです。 コレがまず大前提で、私が好きなのは洋彫りのほうです。
HIDEROWさんという全国的に有名な彫師さんが広島にいたんですが、この方との出会いが私の人生観には深く影響しており、息子の名前もROWの部分を拝借してるほど私の心の師です。若くしてお亡くなりになられていますが、まずはこの方の説明から、確か私の7つか8つ年上だったと思いますが、名前だけは広島でも有名だったので知ってたんです当時。たしか私が18の時、友人の知り合いの知り合いみたいな方のところで初めてTATTOOを入れることになり、こりゃ自分でもできそうじゃね?という安易な気持ちでその彫師さんに「教えてください」って頼み込んだんです。その彫師さんの名前はここでは出しませんが、後に東京のほうで大変有名になる方ではあります。その方と の縁で、技術等を学び始 めようとしていた折、広島で有名な飲み屋街 流川のとある飲み屋にヒデロウさんがたまに出没するらしいという噂を聞きつけ、「全国的にも凄いという彫師さん」に会ってみよーじゃないかと十代の勢いで当時ヤクザもまだまだ多かった飲み屋街に恐る恐る乗り込んだわけです。これがまた間のいいことに、噂の店に着いて数分 たまたまマイアミコンベンションから帰ったばかりだというヒデロウ氏来店。 キターーーーー!!ですよ笑 突撃して 彫師になりたい旨を伝え。「今度スタジオに見学においで」との返事を頂き。そこから交流が始まるんですが、一言で言えばこの方。奇人です笑 冗談抜きに本物の芸術を生み出す人間ってのはここまでぶっ飛んでるのかと。ビジュアルは15年前当時まだまだ少 なかったヲタク丸出しで、 スタジオにはマジでヲタク全開なフィギアが並び、かと思えば語る言葉は完成された職人のそれである。みたいな。もう、説明できない魅力に溢れた方でした。そのアーティストとしての心意気から生き様から何から、何度か飲みの席に連れて行っていただき今振り返っても10代の私からすれば死ぬほど有意義な体験をさせていただきました。そんなことがあり、彫師は私の天職だ。と勝手に思い込み。定時制も辞め、体を提供してくれる友人にも恵まれ?コツコツと彫師の道を進み始めるのですが。
ヒデロウ氏曰く、彫師という職業は、絵の知識、技術はもちろんのこと、医療知識、機械知識、歴史的な知識、最先端の知識、裏家業の人々の折り合い、カウンセリングの知識、技術、ありとあらゆる知識と技術を当たり前に備えた上で、はじめて人の肌に傷をつけてお金を頂くことができるんだ。とそれを高い次元で常に維持するメンタルが一番大事だと。 その昔、ヒデロウさんがスタジオをオープンさせてすぐの頃、当時はTATTOOスタジオなんて広島ではもちろん初めて。全国的にも数軒だった頃。これまた例の飲み屋街でヤク−ザさん達30人ほどにに取り囲まれたそうです。「刺青は裏家業なんだから、きちっとワシらにシノギを払え!」てなことです。しかしまあ、「 裏家業は和彫りの 文化だ!ワシがやってんのは洋彫りTATTOOだ!種類が違う!」っつって頑として聞き入れなかったそうです。そんなこと言い張ってもヤクーザさんたちが理解してくれるわけも無く。そりゃあもう殴る蹴るですわね。骨も折られて、それでもヒデロウさんとしてはココで殺されても悔いは無い!ぐらい腹は括って刺青に関わっていたので、絶対最後まで頭は下げなかったらしいです。なによりこれからのTATTOO文化のためにココで自分がヤクザに巻き込まれたら後にくるものが救われない。とまで考えていたそうです。そういった話を直に聞き、その心意気に心底惚れ込んだし、芸術のために死ねる。人生かけれる。というアーティストが現実に目の前に居ることで、私の人生観は大きく開かれました。天才は短命の例に 漏れず、40代半ばに病気で他界されましたが、それまでに多くのことを 学ばせていただきました。
TATTOOに関する芸術性、精神性、神秘性ももちろん好みではあるのですが、「魅せられた」となると私の場合はこの人に魅せられたということになります。こんな生き方で生きて行きたいという憧れですね。憧れだけで技術が上がるかといえば、そういうわけではありませんでしたね。残念ながら彫師を志し1年半ぐらいの頃。 当時、己の技術の伸びの悪さへのイラつきや自分自身の生き様への自信の無さ。まあ言い訳をすれば10代でしたから毎回お客さんを彫る前にプレッシャーで吐いてましたね笑 そんな折 女に逃げる という弱い部分が出たのか、子供を授かり、今思えば父親と彫師の二つの道を同時に志せばよかったような気もしますが、当時の私はどちらか一つに絞 らなけれ ばと。志半ばで彫師の道を外れました。
3つめは、お父さんが離婚していなくなった後に、
20歳そこそこで、吉田家と、自分自身の家族の2つの大黒柱にならざる得なかったじゃないですか。
しかも、借金を残して・・。
その時、何か意識みたいのがやはり変わったのですか?
普通の人なら、まず無理だと思うんです。
それと、そこから得た人生の教訓みたいのはありますか?
これはまたいろんなことが同時だったんで、私の場合はすごくわかり易かったんですよ笑
ココから少し引かれるかもしれませんが、ありのままをお届けしましょう。
当時19で彼女でもなかった浮気相手の嫁に子供ができて、同時にもう一人の浮気相手にも子供ができて、こりゃ〜逃げ道無しだ!ってなってたのでまあ〜色々交渉をすませ嫁と結婚することを決めます。そこからスタジオでお世話になっていた彫師さんのところに道を外れる旨を伝え。そういったもろもろをうちのオカンに説明するわけです。
私 「ちょっと大事な話があるんじゃけど」
オカン 「ウチも大事な話があるんよ」
私 「なんか知らんけどワシから言うで〜子供できたけぇ結婚するで〜」
オカン 「ええ〜お父さんも子供ができたけぇ結婚するよ〜」
「なんのことじゃそりゃ〜〜〜〜!!!」
とかいう感じで、しかも詳しく聞くと、うちのオトンの新しい嫁も二十歳だから同級生だねwwみたいな。まーこの父あってのこの息子みたいな。色々ろくでもないんですけど、現実なもんで、開き直ってやることやってくしかないわけで。意識が変わったというか、意識も何もかも、生活態度から考え方生き方にいたるまで、すべてを今すぐ変えなければ明らかに思わしくない未来が待っているのが目に見えたし、想像に易かったですから。 わかり易かったんです。
おお〜これが世の言う「年貢の納め時」ってやつかってね笑
私は普通の人ならまず無理だと思いませんよ。普通の人なら明らかにがんばらなきゃ人生ダメになるとき。逃げずにがんばる方を選ぶんじゃないですか?がんばるほうがやりがいも出るし、こそこそ逃げ回る生き方なんて想像するだけで気持ちが悪いでしょう?
四方八方360度逃げ場無しの状況に立つと、できることはできる。できないことはできない。はっきり廻りに伝えるしかできないんですよ。全部いっぺんにできるようになる魔法があるわけでもなし。一つ一つできることを積み重ねる。ほんとにそれが現実なだけです。
人生の教訓というか、いろんなことから逃げて言い訳ばっかりしてっとうちのオトンみたいな生き方になっちゃうんだな〜。その半面、命がけで芸術だ!って生きてる人も居るんだな〜。ですよね。じゃあ、今ある状況から逃げずに言い訳せずに全力で真正面から歩こう。っていう基本に立ち返るしかできないですよ。プレッシャーとかの小さい次元じゃないんですよね。私がしっかりしないと家族の誰かが明日、自殺するんじゃないかっていうなかなかのネガティブ真っ只中でしたから。全部ほったらかして逃げるほうが根性いるんじゃね?みたいな。だから、わかり易かったし、やるだけだなって簡単に腹を括れたし、何より、生まれてきた赤ちゃんが悶絶ものの可愛さでし たから笑 おお〜この道で間違えてるはずが無い〜という確信もすぐに持てたし。
家も何もかも無くなって親がポンコツで、絵に描いたような逆境な立ち居地に立つと意外と本当に自分に必要なものだけが残るというか、お金なんかもちろんいらないし、家族でいがみ合うこと責任を擦り付け合うことの愚かさ無駄さにもすぐ気が付くし、19でまともな仕事もろくにしてなかったから、飯を食う技術も無かったので、人にものを教わる大切さも気が付かざるえないという。実にわかりやすかったですよ。もちろん若くてバカだったのでスポンジのごとき吸収力って奴かもしれないけど、タイミングが漫画みたいなだけで割りと当たり前の判断ですよ。ま〜勘で運よく生き延びた感じです。人生って面白いな〜です。
4つめは、
当時働いていた内装の会社が倒産した後に、
自分たちでメガメ内装を始めたのは、けっこう自然な流れだったんですか?
(自分もメガネなのでメガネ内装という名前、非常に好きです!)
また体験談も読んで、心に残ってたんですが
吉田さんの仕事に対する心構えみたいのは何でしょうか?
改めて聞かせてください。
自営業になっていったのは時代的にも自然な流れですよたぶん。当時、中小クラスの建築会社はどこも不景気だからお抱えの現場職人さんを社員契約から外注契約に変えていってるって話もよく聞いてましたし、じゃあ、会社も無くなったし、税金のこととか自分でやってみたいし、自営業の届け出すのも簡単だし、弟たちがニートだったので無理やり引っ張り出してきて社員契約にしてやるから働けバカやろーみたいなことでしたよ。人生何事も勉強だし、周りの職人さんたちも皆そうされてましたし、真似すりゃいいだけです。ネーミングはそのまま、一緒にやってる弟二人もメガネだったし、キャッチーな方が覚えられやすいかね〜ぐらいのことです。しばらくして、付き 合いのあ った社長さんに「吉田君もこれから大きいゼネコンと付き合うんなら名前を変えたほうがいいよ」とか言われたのは覚えてますね。私もひねくれてるので、この名前のセンスを笑えん奴とは仕事なんてしねーよ。だいたい仕事貰うためにわざわざ看板付け替えてたらアホだわ。とか変にこだわってたので、稼ぎは泣かず飛ばずでしたね〜笑
仕事に対する心構えというか最近思うのは、昔は丁稚奉公とか弟子入りとか仕事の姿勢。技術は人から人へ受け継がれるもの。そこからの努力、研磨で新しい技術を生み出していくもの。みたいな、仕事を通しての自己表現、心技体、恩義理、縁、道、感謝等々を学ぶ場が少なく、教えてくれる心の余裕のある人が少ないんだな〜と思います。 私の場合は若い時に彫師の世界や、現場仕事の先輩方から多くを学びましたが、今やお金のために働いてる人だらけで、自分の信念のために働いてるという方を見掛ける機会が少ないんだな〜と。自分はなるべくお金のためにならないように気をつけよ〜。が最近の心構えですかね笑
5つ目は4つめの質問と同じ流れなんですけど、
吉田さんが働く人でも、一緒に過ごす人でもいいんですが
心構えというほどの大袈裟なものでもないんですが、何か考えていることってありますか?
やっぱり田村さんも言うように、人間力という言葉がどうしても思い浮かぶので。
(何か仕事でもプライベートでもいいので、それにまつわるエピソードもあれば・・)
田村ック教授が言い始めたであろう人間力なんですけど、いまいち私はよくわかってないんですよね〜笑
質問もよくわからんのですが、対人?人に接する時の心構えですか?まーよくわかんないので、テキトーに答えます。笑 見当違いだったらスイマセン。
こういうメールのやり取りとかもそうですし、教授のエッセイやブログやコラムや書籍までもそうだけど、文字はどこまでいっても所詮文字だと思っていて、もちろん言葉の羅列のなかで美しいもの耳障りのいいものなどもあるのもわかります。けれどもどっかで冷めてるというか百聞は一見にしかずじゃないけど、見て感じたほうが早いし、情報量が多いし、真贋の見極めも易いというのがあるもんで。副業とか起業塾みたいなのとかセミナーみたいなのに参加しまくってた時期があったんですけど、文章や誘い文句、使う言葉はもっともらしくても、お前中身詰まってない張りぼてだろっていう人もたくさんいますからね〜 コンサルタントだとか、カウンセラーだとか肩書き つけてり ゃ誤魔化されるほどバカでもないし、こっちはいくらでもバカの振りはするけど、それが振り、演技だと気が付いてしゃべってくる人とそんなこと見えても無い人と色々いますよね。アプラックを利用したのも前の年に教授に直で会って見て、こんだけの文章書く人間は、本物かどうかを見極めてからっていう、かなり疑り深い性格かもしれませんねー私。笑 まあでも、なんにせよ直接しゃべってみてある程度行動をともにしてみて始めて人付き合いだと思ってます。大体書いてる文章が素敵だから騙されましたーとか言ってたら子供なんか守れねーよ。とかごちゃごちゃ言葉にするととにかくややこしいんですよ。 しゃべって感じてみたのがはえーよ。っていう子供みたいな感じです。 教授に言わせりゃ右脳 的だ左脳的だとかなのかな?笑 この真贋見極め方もある程度の人生経験者ならあるだろうし、空気が読めないとかはよく言われますけど、影愚痴にならないよう本人に直接言うとかはあるけいやいやホントに、人間力ってなんですか?笑
6つ目は、はじめて息子が出来たときに自分の人生を少し振り返ったとありますが
どのように振り返ったんですか?またそれが副業の勉強に繋がった経緯は何でしょうか。
こりゃ簡単です。具体的にも現実的にもお金です。子供2人なら何とかなるだろう将来のお金も、3人じゃ足りないぞっていう。
それまでは感覚的にやってたお金のことを真面目に勉強しないと3人は育てられないぞ〜という現実的な問題が感覚的にも気が付かざる得ない状況ですよ。ので、漫画でわかる経済とかから、バカでもわかる損益対照表とか、アホみたいに小学生が読むような本を読ん で(だいたいまず本を読むという集中ができないので集中力を伸ばすにはって本を読むとこからはじめるという笑)まずは地の知識を増やし、そこからセミナーだなんだに参加していき、対人力、知見を広げていって、金の稼ぎ方コントロールの仕方を私なりのアプローチで試みていったわけです。もちろんお金も経済もつながってるし、将来英語が必要だ海外だみたいな事も見え始めるするってえとアプラックにも行き着くみたいな流れですかね。
息子に関していえば、それまで女の子だったので、お父さんは好きなようにやってりゃいつか嫁に行くんだろ。だったのが、男の子は嫁を貰わなければいかん。ポンコツに育てるわけにはいかんという危機感と女の子を超える想像的な行動力を見せやがるの で、こりゃあうかうかしてらんね〜ぞという下からの突き上げです笑
7つ目はラリアです!
ここは体験談に豊富に書かれているのでそこから拾えると思うんですが
印象に残ったのは、吉田さんの子育ての考え方です。
「足掻きしようとするかどうか」
これって、やっぱり自分の人生の体験から来てるんでしょうか?
教えてください。
コレはそのまま↑の感じでなんとなくどうですか?笑 そりゃそんな人生なら足掻くことが大事なことはわかってるし、子供にも教えときたいわけです。
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